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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)3702号 判決 1961年10月30日

原告 反町信太郎

右訴訟代理人弁護士 吉沢喜作

同 坂根徳博

被告 池本三造

右訴訟代理人弁護士 竹下甫

同 小田成光

被告 有限会社共和電機商会

右代表者代表取締役 石井留蔵

右訴訟代理人弁護士 田中義之助

同 湯浅実

主文

被告池本三造は原告に対し別紙目録(一)記載の土地を同目録(二)の建物を収去して明け渡し、且つ

昭和三三年三月一二日から明渡済まで一ヶ月一、九〇〇円の割合による金員を支払え。

被告有限会社共和電機商会は原告に対し別紙目録(三)記載の建物から退去して前項記載の土地を明け渡せ。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

この判決は第二項の金銭支払の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

原告主張の土地についてその主張の所有権移転登記のなされたことは被告らの認めるところであり、この事実によれば原告は登記表示のとおり右土地の所有権を取得したものと認めるべきである。そしてその余の原告主張の事実については当事者間に争いがない。よつて権利濫用の抗弁を判断する。

被告池本三造本人尋問の結果によつて成立が認められる乙第二号記ないし第四号記と同供述によれば、被告池本の父清太郎は昭和五年頃から本件土地を所有者佐久間利治から賃借し昭和一九年頃清太郎の死亡によりその相続人である被告池本において賃借権を承継し地上の本件建物で果実販売を営み引き続き本件土地を賃借していたことが認められる。しかし右賃借権の設立登記も地上建物について保存登記のなかつたこと、(本件建物の所有権保存登記は原告が土地を譲り受けた後である昭和三三年三月二四日になされたものである)は同被告の自認するところであるから右賃借権は土地の所有権を取得したものに対し対抗し得ないものという外はない。

被告らが本件所有権の行使もつて権利の濫用であると主張する事実は原告に本件土地上に右のように被告池本の賃借権が存在し、しかもそれが対抗力のないことを熟知しながら地上建物の明渡を企図して本件土地を買い取つたというのであるが原告が本件土地の所有権を取得しても格別の利益がないのに拘らず借地権に対抗力のないことを奇貨とし地上建物の収去を目的とし専ら被告らに対する害意に基き本件土地を取得したとの事実を認むべき証拠はない。

もつとも前掲被告本人の供述によれば原告は被告池本が右賃借権に基き地上建物を所有してこれに居住し営業をしていることを知つて本件土地を買い受けたと推認できるけれどもかかる買受人に対し土地の賃借人がその賃借権を対抗できないのは建物の保存登記を容易になし得たのに拘らずこれによる賃借権保全の手続を怠つたために被る不利益に外ならないから自己の懈怠に目を覆い他人の不当を責めるのは一般に首肯し得るところではない。

そして土地の買受人は別段の事情のない限り自己の利益のために所有権を取得するものと推定すべきであるから、地上建物の収去を意図していても専ら他人を害する目的で土地所有権を取得したといい得ないわけである。

してみれば原告が被告池本の右賃借権の存在とその登記のないこと及び地上建物の保存登記のないことを知つて譲り受けてもそれだけで本件明渡請求が権利を濫用するものと速断するに足りないところである。

次に被告らは原告は被告池本に地主との本件土地買受交渉を妨害してこれを買い取つたものであり、しかも当時、時価坪当り四〇万円の本件土地を僅か五万円余で買い取り暴利を貧るものであると主張する。

しかしながら原告が殊更に被告池本と地主との本件土地の売買交渉を妨害したとの事実を認むべき証拠はない。

却つて前掲被告池本本人の供述によれば、地主である佐久間は資金の必要に迫られていたので被告池本に対し本件土地の買取りを求めたが佐久間の坪当り五万円の買取要求に対し被告池本は三万円を主張し売買価格の一致を見なかつたためその交渉が延びている内に原告が買い取るに至つたことが認められるので、原告が特に地主と被告池本との間の売買を妨害する目的で本件土地を譲り受けたものと認めることはできない。もつとも鑑定人角崎正一の鑑定の結果によれば原告が本件土地を買い受けた当時その更地価格は坪当り四〇万円位であつたことが認められるので、原告の買入価格である坪当り五万円余(この価格は原告の認めるところである)は著しい低廉の価格ということができる。しかしながらこのことは、本件土地の買受人たる原告において賃貸人としての地位承継の意思の存在の根拠として主張するなら格別、前記のように原告が地主の要求する価格に応じ、自由取引によつて決定されたものであるから、その価格の決定が被告池本と地主との売買交渉を妨害し、被告池本を窮地に追い込むために地主と通謀して殊更に低額にしたとか、その他特に原告を所有者として不当な利益追及を共謀した等の特別の事情の認められない本件においては売買価格の低廉であるとの一事をもつて暴利を貧る不当の取引と断ずるに足りない。なる程原告は右取引によつて一応巨額の利益を得たように見えるけれども、その利益は土地の明渡を得て実現される性質のものであるのが通例のところ、その明渡請求が認められる可能性は被告池本の賃借権が対抗力を有しないという欠点が主要な原因というべきである。そして本件のような紛争を防止し土地賃借人の地位を保護するために建物保護法の存在することはいうまでもないところである。

権利は一般に社会公共の福祉のために存在し、これに適合するようその行使をなすべきではあるが、本件において原告が被告池本に対し土地を賃貸すべき社会的責任を負うというべき根拠はない。もつとも自己の利益の追及に急の余り他人に不当の不利益を与えることを顧りみないことは場合により社会公共の福祉に適応しないと見られないではないが、成立に争いのない乙第五号証の一、二と前掲被告池本本人の供述によれば、原告は本件土地買取後同年八月同被告を相手として本件の紛争について調停の申立をなし事態を円満に解決しようとしたけれども、同被告においてこれに一顧も与えず終始不出頭のため不調となつたことが認められるので、原告は本件買取により自己の利益を図つたとしても被告池本の立場を全く無視したわけではないから、他を顧りみず専ら自己の利益のみの追及に急であつたことは認められないところである。してみれば本件明渡請求により原告が多額の利益を実現しその反面に被告らが著しい損害を被る結果となつても単に利害の衝突とその結果の重大性からだけでは、かかる権利の行使が社会公共の福祉ないし権利存立の社会目的に反し権利を濫用するものというに足りない。

以上認定の事情に徴すれば、原告の本件権利の行使はいまだ権利の濫用とみることはできないから被告らの抗弁は理由がない。よつて原告の被告らに対する請求を正当として認容し訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条一項、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、なお建物の収去、退去による土地明渡部分の仮執行は相当と認めないのでその宣言をしないこととし主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数)

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